三島由紀夫の墓は多磨霊園のどこ?遺骨盗難の真相と墓参り完全ガイド
日本文学史に不滅の足跡を刻み、劇的な自決劇から半世紀以上が経過した現在も世界中で読まれ続ける作家・三島由紀夫(本名:平岡公威)。その強烈な美学と死生観に魅了され、命日や節目に墓所を訪れたいと願う読者は後を絶ちません。
しかし、広大な敷地を持つ霊園の中で「具体的にどの区画にあるのか」「どのような戒名が刻まれているのか」を知らない方も多いはずです。さらに、かつて世間を騒然とさせた「遺骨盗難事件」の経緯や現在の参拝マナーなど、訪問前に把握しておくべき重要事項を徹底取材に基づいて解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:三島由紀夫の墓所は東京都府中市の都立多磨霊園「10区1種13側15番」にあり、本名である「平岡家之墓」として建立されている。
- 要点2:1971年に発生した前代未聞の「遺骨盗難事件」は約1年後に無事発見・解決され、現在は堅牢に護られている。
- 要点3:墓参りは公共のルールを守り、特に11月25日の命日「憂国忌」前後はマナーと静粛な環境への配慮が不可欠となる。
【墓所の場所】東京都府中市「多磨霊園」平岡家墓所の区画と墓石の特徴
三島由紀夫の遺骨が眠るのは、東京都府中市に広がる日本初の公園墓地「都立多磨霊園」です。墓石にはペンネームの「三島由紀夫」ではなく、本名である「平岡家之墓」と深く刻まれています。
多磨霊園は東京ドーム約27個分という途方もない広さを誇るため、事前のおおよその位置把握が欠かせません。平岡家墓所が位置するのは「10区1種13側15番」です。正門(北側)から向かう場合、みたま堂を抜けて南西方向の区画へと歩き進めるルートになります。
墓石そのものは華美な装飾を排した端正な和型墓石で、正面に「平岡家之墓」、右側面に三島本人の戒名と俗名「公威」、没年月日が刻まれています。周囲を取り囲む木々と調和し、凛とした空気が漂う佇まいが印象的です。
多磨霊園へのアクセス方法|最寄り駅からの徒歩ルートとバス利用ガイド
多磨霊園は複数の鉄道路線からアクセス可能ですが、広大な敷地内を歩く時間を考慮して移動手段を選ぶのが賢明です。
最も徒歩移動が短くスムーズなのは西武多摩川線「多磨駅」を利用するルートです。駅南口を出て正門までは徒歩約5分、そこから平岡家の墓所がある10区までは霊園内の並木道を歩いて約10〜15分ほどで到着します。
バスを利用する場合は、以下の路線が便利です。
【京王線・JRからの主要バスアクセス】
・京王線「多磨霊園駅」より:京王バス(武蔵小金井駅南口行き)に乗車、「多磨霊園表門」または「霊園正門前」下車。
・JR中央線「武蔵小金井駅」南口より:京王バス(多磨霊園駅行き)に乗車、「多磨霊園表門」下車。
・京王線「調布駅」北口より:京王バス(武蔵小金井駅行き)に乗車、「多磨町」下車。
園内には案内図が設置されているほか、正門付近の管理事務所で霊園マップを入手しておくと迷わず目的地にたどり着けます。
刻まれた戒名「彰武院文鑑道衛居士」に込められた意味と自決の経緯
平岡家墓所の墓碑側面に刻まれている三島由紀夫の戒名は、「彰武院文鑑道衛居士(しょうぶいんぶんかんどうえいこじ)」です。
この戒名は、三島が生涯を通じて追い求めた「文武両道」の精神を色濃く反映しています。文学の頂点を極めたことを示す「文」と、行動者として武士道の精神を貫いた「武」の文字が見事に調和しており、作家の苛烈な生き様をそのまま象徴する名として広く知られています。
1970年(昭和45年)11月25日、三島は主宰する「楯の会」の学生ら4名とともに市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を急襲。総監を人質に取ってバルコニーから自衛隊員へ決起を促す演説を行った後、総監室において45歳で割腹自決を遂げました。この「三島事件」は戦後日本社会に計り知れない衝撃を与え、半世紀以上が過ぎた現在も思想・文学の両面から検証され続けています。
【衝撃の真相】世間を震撼させた「三島由紀夫遺骨盗難事件」の全貌
三島の死から約1年が経過した1971年(昭和46年)12月5日、多磨霊園の平岡家墓所で信じがたい事件が発覚しました。三島の遺骨が納められた骨壺が、何者かによって墓石の納骨室から掘り起こされ、持ち去られていたのです。
事件当時は金銭の要求や犯行声明などが一切届かず、動機を巡って「熱狂的な右翼信奉者による遺骨の神格化目的」「狂信的ファンによる犯行」「金品目的のいたずら」など様々な憶測が飛び交い、警視庁による大規模な捜査が行われました。
事態が急展開を迎えたのは、事件発生からほぼ1年後の1972年(昭和47年)12月のことでした。盗難現場からそう遠くない多磨霊園内の敷地(雑木林の土中)に骨壺が埋められているのが発見され、中身の遺骨も無傷の状態で平岡家へと返還されたのです。遺骨はその後、二度と同様の被害に遭わないよう強固な防犯対策が施され、再び平岡家の墓所深くに安置されました。
憂国忌(11月25日)の墓参り事情と一般参拝者が知るべきルール・マナー
三島由紀夫の命日である11月25日は「憂国忌(ゆうこくき)」と呼ばれ、毎年各地で追悼集会や献花が行われます。この時期になると、全国から多くの文学ファンや研究者、有志が多磨霊園の墓所を訪れます。
参拝にあたっては、平岡家の私的な墓所であり、周囲にも他のご遺族が眠る一般区画であることを強く意識しなければなりません。訪問時は以下のマナーを厳守してください。
【参拝時の重要ルールと配慮事項】
1. お供え物は必ず持ち帰る:缶ビール、日本酒、タバコ、生花などをそのまま放置することは霊園の管理規則で禁止されています。カラスや野生動物による散乱を防ぐため、合掌後は必ず自身で持ち帰りましょう。
2. 撮影時のプライバシー配慮:墓石を撮影する際は、周囲の他家のお名前や参拝者が写り込まないよう十分配慮し、SNS等への無分別な投稿は控えるのが大人のマナーです。
3. 静粛な環境を維持する:集団での大声での談笑や長時間の占有は避け、静かに手を合わせる姿勢を徹底してください。
【三島由紀夫の墓】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:三島由紀夫の墓石にペンネームは刻まれていますか?
A1:墓石正面には本家名である「平岡家之墓」と刻まれています。ただし、墓石の側面には戒名とともに俗名として「公威」の名がしっかりと刻字されています。
Q2:一般のファンでも自由に墓参りすることは可能ですか?
A2:都立霊園のため、一般の立ち入り可能時間内であれば誰でも参拝可能です。特別な許可や予約は必要ありませんが、ご遺族や他の参拝者の迷惑にならないよう静かに合掌してください。
Q3:命日以外でも参拝者は訪れていますか?
A3:はい。命日の11月25日前後だけでなく、三島の誕生日である1月14日や、春・秋の彼岸、文学忌の時期など、年間を通じて国内外から多くのファンが訪れています。
まとめ:三島由紀夫の魂が眠る地を静かに訪ねるために
昭和という激動の時代を駆け抜け、自らの命をもって強烈な美学を完結させた三島由紀夫。彼が眠る多磨霊園の平岡家墓所は、激動の歴史や前代未聞の盗難事件を乗り越え、現在は深い静けさの中に佇んでいます。
その足跡を辿り、墓前に立つことは、作品世界をより深く理解するための貴重な契機となるでしょう。霊園を訪れる際は、作家への敬意と霊園のルールを守り、静かな祈りを捧げてください。 (出典: 三島 由紀夫 の 墓(Yahoo!ニュース))