志摩マリンランド閉館の真相と跡地の現在|マンボウの行方と最新動向
三重県志摩市・賢島(かしこじま)の象徴として、半世紀以上にわたり親しまれてきた水族館「志摩マリンランド」。巨大なマンボウが悠々と泳ぐ姿や海女による餌付け実演など、多くの旅行者や地元住民に愛された名門施設でしたが、2021年3月31日をもって惜しまれつつ営業を終了しました。
閉館から年月が経過した現在も、ファンの間では「なぜあれほど人気の水族館が閉館したのか」「シンボルだったマンボウたちはどこへ行ったのか」「跡地はどうなっているのか」といった関心が途絶えることはありません。本稿では、閉館に至った決定的な理由や飼育生物たちの移籍先、解体後の跡地における近鉄グループの最新開発動向まで、公式発表と現場の取材事実をもとに詳しく解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:閉館の主因は開館51年を経た建物の深刻な老朽化と維持改修費用の膨大化であり、水族館としての再開の可能性はない。
- 要点2:看板だったマンボウをはじめとする約430種・約2600点の生き物は、鳥羽水族館など全国の水族館へ無事に移譲された。
- 要点3:施設の解体工事は完了しており、跡地は近鉄グループ主導のもとで賢島エリアの活性化を見据えたリゾート開発が計画されている。
【賢島の象徴】志摩マリンランドの歴史と半世紀に及ぶ足跡
志摩マリンランドは、近畿日本鉄道(近鉄)の創業60周年事業の一環として1970年(昭和45年)3月に賢島駅前で開業しました。賢島が伊勢志摩観光の重要拠点として発展していく時期と重なり、伊勢志摩国立公園を代表する観光名所として長年にわたり確固たる地位を築いてきました。
同館最大の特徴は、ドーナツ型の大回遊水槽で泳ぐマンボウの飼育展示でした。「マンボウの泳ぐ水族館」として全国に名を馳せ、複数尾のマンボウが並んで泳ぐユーモラスな光景は、訪れる多くの観光客を魅了しました。また、伊勢志摩の伝統文化を間近で体感できる「海女の餌付け実演ショー」や、化石や古代生物の歴史を学べる「古代水族館」など、独自色の強い展示展開でピーク時には年間約70万人以上の来館者を集めました。
半世紀の間に迎えた累計来館者数は約1500万人に達し、昭和から平成、令和へと時代が移り変わる中でも、親子三代にわたって思い出を育む特別な場所として愛され続けました。
【公式発表の真相】志摩マリンランドが閉館を選んだ決定的な理由
志摩マリンランドが営業終了を決断した最大の要因は、施設・設備の著しい老朽化です。運営会社の近鉄レジャーサービスおよび近鉄グループホールディングスの公式発表によると、1970年の開業から51年が経過し、建物の躯体や海水循環パイプ、電気系統などの基幹インフラが限界を迎えていました。
水族館は海水を大量に使用するため、一般的な商業施設に比べて塩害によるコンクリートの劣化や金属配管の腐食スピードが極めて速いという特殊な事情があります。営業を継続するためには、耐震補強工事だけでなく施設全体の大規模な建て替えが必要不可欠な状態に陥っていました。
しかし、国内の少子高齢化やレジャーの多様化に伴い、近年は入館者数が年間20万人前後にまで減少傾向にありました。莫大な建て替え投資を回収する見込みを立てることは難しく、経営判断として「これ以上の安全な維持管理と安定営業の継続は困難」と判断され、営業終了という苦渋の決断が下されました。三重県内における他の老舗観光施設と同様に、高度経済成長期に建設されたインフラの寿命という構造的な課題が背景にありました。
【マンボウたちの行方】館内の生き物たちの移籍先と現在の姿
閉館発表時に最も注目と心配を集めたのが、展示されていた生き物たちの命の行方でした。志摩マリンランドでは閉館決定後、日本動物園水族館協会(JAZA)加盟館を中心に受け入れ先を募り、飼育していた約430種・約2600点の生物すべての移籍先を迅速に確保しました。
特に繊細で環境変化に弱いマンボウの輸送には細心の注意が払われました。マンボウや大型魚類、ウミガメ、ペンギンなどの多くは、同じ三重県内の鳥羽水族館や伊勢シーパラダイス、さらには近隣の名古屋港水族館やアクアワールド茨城県大洗水族館など、全国の専門設備を持つ水族館へ無償譲渡という形で引き継がれました。
移籍作業は閉館後の数カ月間をかけて順次進められ、飼育スタッフたちの手によって一頭一頭が安全に送り出されました。長年親しまれた生き物たちは、現在も移籍先の各水族館で元気に暮らし、新たな来館者を楽しませています。
【跡地の現在】解体工事の状況と現地・賢島のリアルな情景
閉館後の志摩マリンランド跡地では、生物たちの搬出が完了した後に速やかに解体工事の準備が進められました。近鉄グループによる工事計画に基づき、2022年以降に本館建物や巨大水槽の解体作業が本格化し、工事は順次完了しました。
かつて賢島駅のホームや周辺道路から望むことができた象徴的な建物や、エントランスに設置されていたマンボウのモニュメントは完全に撤去され、現在は広大な更地が広がっています。駅前の風景が一変したことに対し、賢島を再訪した旅行者からは「建物がなくなっていて驚いた」「急に視界が開けて寂しさを感じる」といった声が聞かれます。
敷地周辺は安全管理のためのフェンスで囲われており、関係者以外の立ち入りは制限されていますが、土地の基礎整備は着実に完了しており、次なるフェーズへの移行を待つ静かな佇まいを見せています。
【2026年最新動向】近鉄グループによる跡地リゾート開発と再開の可能性
気になる「志摩マリンランドが水族館として再開する可能性」ですが、水族館としての再開・復活の可能性はゼロと断定されています。建物の完全解体が行われたことや、水族館の新規建設に伴う巨額のイニシャルコストを考慮しても、従前の形態に戻る計画は存在しません。
一方で、近鉄グループホールディングスは賢島エリア全体の価値向上を目指す「伊勢志摩エリア再活性化構想」を推進しています。志摩マリンランド跡地は、近鉄志摩線の終着駅である賢島駅に直結する一等地であり、英虞湾(あごわん)の景観を一望できる希少な立地です。
近鉄グループは、この広大な跡地を活用し、富裕層をターゲットとした高級リゾートホテルや滞在型ヴィラの誘致・開発、ならびに自然景観を生かした新たな観光拠点の整備を軸に計画を進めています。志摩観光ホテルや賢島宝生苑といった既存のグループ宿泊施設との相乗効果を図り、賢島を「静寂と自然を満喫する上質なリゾートアイランド」へと再定義する開発が進められています。
【ネットの反応と惜しむ声】地元住民や全国のファンが語る思い出
志摩マリンランドの閉館およびその後の解体に対し、SNSや旅のコミュニティでは今も数多くの回顧談や惜しむ声が投稿されています。
「子どもの頃に家族で連れて行ってもらった思い出の場所」「マンボウが泳ぐ姿をぼーっと眺める時間が大好きだった」といった個人的な記憶を語る声が多く見られます。また、閉館直前に開催された特別展示やバックヤードツアーに参加した熱心なファンからは、「最後まで生き物たちを丁寧に世話し、笑顔で見送ったスタッフの姿勢に感動した」という感謝のメッセージが寄せられました。
地域住民にとっても、半世紀にわたり賢島の賑わいを支えてくれたランドマークの喪失は大きな出来事でしたが、同時に「跡地が新たな魅力的な施設に生まれ変わり、再び賢島に活気が戻ってほしい」という未来への期待も根強く語られています。
【志摩マリンランド】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:志摩マリンランドはなぜ閉館したのですか?
A1:1970年の開館から51年が経過し、施設の老朽化が著しく進行したことが主因です。塩害による構造や配管の劣化が激しく、安全な営業を継続するために必要な大規模改修・建て替えに多額の費用がかかることから営業終了が決定されました。
Q2:シンボルだったマンボウや他の生き物は今どこにいますか?
A2:飼育されていた約430種・約2600点の生き物は、鳥羽水族館、伊勢シーパラダイス、名古屋港水族館など全国の提携水族館へ無事に移籍されました。それぞれの施設で現在も大切に飼育展示されています。
Q3:志摩マリンランドが水族館として再開する可能性はありますか?
A3:水族館としての再開の可能性はありません。建物はすでに解体されており、跡地は近鉄グループによるリゾートホテルなどの新たな観光開発用地として活用される計画が進んでいます。
まとめ:賢島の新たな歴史をつなぐ跡地再開発の今後に注目
51年間にわたり伊勢志摩観光を牽引した志摩マリンランドの歴史は幕を閉じましたが、そこで育まれた海の生き物たちへの愛情と技術は全国の水族館へと引き継がれました。
解体を終えて更地となった賢島駅前の一等地は、近鉄グループの手によって次の時代に向けた上質なリゾート拠点として再生への道を歩んでいます。長年親しまれた水族館の思い出を胸に刻みつつ、賢島がどのように新たな観光の価値を創造していくのか、今後の再開発動向に引き続き注目が集まります。 (出典: マリン ランド(Yahoo!ニュース))